2005年02月24日
 

開けてはいけない マジックのパンドラの箱

 すっかり冬になりましたね。みなさんお風邪などひかれておられませんでしょうか? さて、今回のテーマは「ネタばらし番組」について考えてみました。

 先日、とある番組に出演依頼がありました。打ち合わせの段階では、Georgeを講師とし、ゲストを生徒と見立てて、何か簡単なマジックを教えてほしいと。先方は「テレビを観ている方々にも何か教えてあげたい」というので、「本などで紹介されている簡単にできるマジックなら、お教えしましょう」と提案し、OKをいただきました。
 しかし、数日後、事務所に連絡が入り、こんなことを言ってきました。
「マスクマジシャンって知ってますか?」
「知ってますよ」
「彼がネタばらししたマジックをテレビで同じようにネタばらししてくれませんか⋯⋯」
 冗談じゃない! はじめの打ち合わせ内容とまったく違うではないか!
「申しわけありませんが、当社のコンセプトはみなさまに楽しんでいただくことで、夢を覚ます役回りはいたしません。ですので、今回の話は白紙に戻してください」と、丁重にお断りしました。

 テレビ上でのネタばらしは、失望を与えることがあっても、希望を与えることは決してない! これがGeorgeの考え方。我々マジシャンですらネタを知ってしまったために失望したことがいくつもあります。ネタを知るまでは物凄いことを想像し、こんなことができたら、あんなこともできるのにと、夢を膨らませます。ところが、ネタを知ってしまった瞬間、自分が思い描いていた夢がもろくも崩れ落ちてゆくのです。
 マジックは魔法ではありません。言ってしまえば、錯覚や心理誘導、思いこみなどを巧みに使いこなし、観ている人がそれにのせられた上ではじめて成立するエンターテイメントなのです。
 そのことをテレビ制作の方々は理解できないらしい。たとえば、感動した映画の裏側を見せられて、さらなる感動を呼ぶでしょうか? 「な〜んだ荒れって本当はミニチュアのセットで撮影してたんだ」と失望したり、「最近の映像処理技術はすごいな〜」とか、この程度で終わってしまうのではないでしょうか。
 見えない部分があるからこそ、マジックは神秘的でいいのです。わからないから楽しい。不思議だからまた観たくなる。マジックのパンドラの箱を公共の電波にのせて明かすことは許されない。
 ではマジックを覚えたい人は何に頼る? 本当にマジックを覚えたい人は自分の足で本屋に行き、マジックの本を買います。または休日を利用してマジックスクールに通います。テレビで簡単にネタばらしをやることで、それを観た人は練習もせずに人前で披露します。当然バレる。そして、マジックのことを何も知らないのに「マジックなんてこんなものだよ」とうそぶき、何も知らない人々は、その言葉を鵜呑みにします。すると、多くの人がマジックは低俗なお遊びと考えるようになってしまう⋯⋯。
 だから、日本ではいつまでたってもマジックが鼻つまみの扱いをされるのです。テレビでネタばらし番組をやっている以上、日本でマジックが本当のエンターテイメントとして扱われる日はまだまだ先でしょう。

 今回はかなり感情的になってしまいましたが、これはあくまでもGeorgeの個人的な考えです。今回のお話はこの辺で。

Posted by george at 01:49 | コメント (0)

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