三日坊主鬼喜王子です。
かつて有森裕子が「自分のことを褒めてあげたい」といったが、今そんな気分だ。
よく1週間日記を更新できたものだと。
僕は生来のものぐさで、小学生の時の夏休みの絵日記も宿題も8月31日にまとめてやったし、東大に入学したという経歴からは意外だが、中学2年生のときまで勉強しなかったので、数学が全くわからなかった。
過去日記をつけたこともあるが、文字通り三日坊主。
基本的に追いつめられないとやらない性格なのだ。
つまり、今は追いつめられているのである。
人に会う度に「ブログ見ましたよ」と言われるプレッシャー。
「面白かったです」と言われるたびに、本当に面白いものを書かなければと思う重圧。
まあ、お陰で毎日更新できているわけですが。
それにしても本を読む量が減ったせいか、文章が年々下手になっているような気がしますな。暇を見つけて読むようにしなければ。
ところで、最近読んだ本でいちばんよかったのは、リリー・フランキーさんの『東京タワー〜僕とオカン、時々オトン』。
リリーさんはバカでエロだけど、どこまでもまっとうです。久しぶりに本を読んで泣きました。
永遠のプリンス、鬼喜王子です。
白髪を発見してしまった。
今までも疲労やストレスがたまった時に、1本や2本や3本生えているときはあったのだが、今回は今まで生えていなかったところ(耳の横の方)にあったので、少々ビビっている。
3本くらいなら抜いてもいいけど、これが5本10本と増えてくるとなぁ…。我が社の社長のような頭になってもなぁ。
昔、司馬遼太郎のような真っ白な頭にあこがれて、脱色したことがあったが、髪が痛んで止むなく銀髪止まり。
いざナチュラルに生えてくるとなると、自分の「老い」を見せつけられるようで嫌なものですな。
「ううん、大丈夫。僕は王子様だもん。永遠に歳はとらないもん。」
と自分をごまかそうとするが、無駄な努力。
昭和天皇時代の皇太子=今の天皇陛下、英国のチャールズ皇太子、カンボジアのシアヌーク殿下。思い浮かぶ本物の「王子様」は、みんなジジイだった。
こんなところでも高齢化社会は深刻な問題だ。
ちなみに直木賞作家の浅田次郎氏は「下の毛」に白髪を発見した時が一番ショックだったそうである。
僕はまだ大丈夫です。念のため。
マジック界の日本代表候補、鬼喜王子です。
東海テレビさんのお招きで、同社主催のスポンサー接待パーティに行って参りました。
場所は静岡県は「葛城 北の丸」というところ。
皆さん、この名前に聞き覚えはありませんか?
もう今から三年前になってしまいましたが、2002年に開催されたサッカーW杯で、日本代表のベースキャンプ地になったところです。
実は僕もタクシーの運ちゃんに言われるまで、すっかり忘れていましたが。
トルシエ監督(当時)を初め、選手やスタッフのサイン入りグッズや、当時の様子の案内板などがあり、あの頃の熱い思いが甦ってきました。他人がやっていることであれだけ、血が沸騰するくらい興奮したのは、あれが最初で最後のことです。
(ちなみにそのとき、日本代表の試合がある日は全部仕事を休みにしました)
当時のDVDも流れていていたのですが、トルシエ監督も中田英寿もその他の選手もマスコミに見せる姿とは違い、とてもサービス精神旺盛で、すぐに人を笑わせようとしたり、冗談を言ったり、いたずらをしたり、人への気遣いも並ではありませんでした。ひとことでいうと、みんな「いい人」ばかりでした。
リラックスしているときは、子供のようにふざけ合っていても、いざ試合となると真剣そのもの。とくにトルシエ監督のサッカーに対する情熱と真剣さは、三年後映像を通して見ても、胸が熱くなるものがあります。
トルシエはモロッコ代表の監督に就任して、2010年のW杯を目指すそうですが、頑張ってほしいものです。
もちろん我が日本代表も。
「葛城 北の丸」の方も、トルシエがそのサービスに感動してキャンプ地に選んだというだけあって、素晴らしいホスピタリティでした。
いろんな意味で「プロ魂」を見せつけられた一日でした。
ホラー映画は苦手な鬼喜王子です。
突然携帯が使えなくなった。
どこに行っても圏外表示になって、電話もメールも全く使えなくなったのだ。
落としたり、磁石を近づけたりした覚えはないんだけど…。
数年前夕方のニュースの特集で、「携帯依存症の女子高生」というのをやっていて、携帯を実験的に取り上げられた女子高生が挙動不審になるほど不安になる様を映していた。そのときは「バッカじゃねえの!?」と思っていたが、今はその気持ちがよくわかる。
当時より仕事や知人が増えたとはいえ、明らかに携帯依存症にかかっている。
「よし、しいちゃん(十二時スタッフ)に電話して、犀口さん(仮名・十二時のお客様でauの人)に新機種を手配してもらうようお願いしよう!」→「あっ、電話がかけられない!」
「しばらく連絡が取れないこと、事務所にメールしなきゃ」→「あっ、そういえばメールも使えない!」
最近携帯にはカメラばかりか、FMラジオ、テレビ、Felica(JR東日本のスイカみたいな奴)、音楽再生等、いろんな機能がついて便利になっているが、その反面ますます携帯に依存するようになっているのではないだろうか?
文明社会の縮図ですな。
ちなみに僕は、今の日本の若者をダメにしているのは、携帯・コンビニ・インターネットの3つだと、固く信じています。
auショップに修理に出したときに代替機を手に入れて、とりあえずは大丈夫になった。
でも新機種購入予定。
talbyの代わりに借りたinfobar。電池減るの超早いんですけど…。
夢見るマジシャン、鬼喜王子です。
僕は眠りが浅いせいか、よく夢を見ます。
先日も大変感動的な夢を見て、夢の中で泣いていたのですが、起きてみると内容をすっかり忘れてしまいました。
そういえば大阪の深井(洋正、世界的なステージマジシャン)さんにものすごくおもしろいネタを教えてもらう夢も見たのですが、起きた後面白いことは覚えていても、肝心のネタがどういうものだったのかを覚えていない。覚えていたらFISM優勝も間違いないんだけどなぁ…。
最近、身体と夢のリンクが弱くなったような気がします。
どういうことかというと、例えば昔は夢の中でトイレに行くとおねしょをしましたが、今は夢の中でいくら放尿しようと地図をつくることは無くなりました(そのかわりいつまでたっても放尿後の爽快感は夢の中では味わえない訳ですが)。
夢の中でわんわん泣いても、涙で枕を濡らすこともありませんし、昔は走って逃げる夢を見ると、起きた後ひどい寝相になっていたものですが、今は直立不動で目が覚めます。
お陰で恥ずかしい夢を見て恥ずかしいことを口走っても、寝言になることがないので、事務所で寝ている時も、起きた後恥ずかしい思いをしなくても済みます。
最近運動不足と感じるのも、これが原因なんでしょうか?
はいさい、鬼喜王子です。
沖縄から帰って来て1週間経ちました。
今改めて思うのは、かの地は非常に「都市」であったな、ということです。
つまり「中心」であり、「地方」とか「田舎」という臭いを全く感じさせなかった。
現在日本中の地方都市が「ミニ東京」化しています。
一番恥ずかしい例が旧田無市と保谷市が合併してできた「西東京市」であります。住民のプライドもへったくれもあったもんじゃありません。さいたま市の「見沼区」騒動、あれも恥ずかしい。ちなみにさいたま市は「北東京市」という候補名もあったらしいですが、そうならなくて本当によかったです。
「東京が一番かっこ良くて、それを真似するのがかっこいい」という価値観。
コピーは本物にはなれないのに。鬼喜王子がどんなに頑張ってもDavid CopperfieldやLance Burtonにはなれません(その逆もまた然り!)。
沖縄では那覇にしてもコザ(沖縄市)にしても、「オイラんところが一番」という雰囲気が漂っている。100年ちょっと前まで「琉球王国」という独立国だったことも関係しているんでしょうけど、その態度は「都市」的でとてもかっこいいと思いました(コザにいたっては、未だに自分の住んでいるところを「沖縄市」とよばないらしいです!)
それでも中川陽介監督の話によると、金武(きん)という町がミニ東京化してつまらない町になっていたり、市町村合併で古い地名が消えて、沖縄語(うちなー口)ではない市名になったりしているところもあるらしいです。
中川監督が素敵なのは、「アジアであること、日本人であること」を前提に、自分しか持っていない視点で見つめ、映画をとっていることです。
オリジナルであることって、本当にかっこいいですね。
青春の汗麗しい鬼喜王子です。
阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズの日本シリーズもたけなわですが、15年位前、この2チームはそれぞれセリーグ、パリーグの最下位の常連、いわゆる「お荷物球団」でした。
「阪神とロッテが戦ってどっちが一番弱いか決める」という「裏日本シリーズ」をやったらいいという冗談がその頃ありましたが、まさかこの両者が本当の日本シリーズを戦うことになろうとは、誰が予想したでしょう。
蛹が蝶になったような華麗な変身。
もちろん、球団側の必死改革とファンの熱烈なサポートがあればこそ変われたんですが、変わるということはやはりそれなりに時間がかかってしまう。
千葉ロッテは「ロッテオリオンズ」から「千葉ロッテマリーンズ」に変わった1992年から数えると13年、阪神でも、野村監督を招聘した1998年から18年振りの優勝を決めた2003年まで5年かかっている訳です。
我が身を振り返ると、大変ありがたいことに、今年はテレビに取り上げられたり、ご指名で仕事を頂くことも増えて来て、「人気マジシャン」の端に加わったのかな、と言っても良い状況になっています。
当然ながら、運が左右しているところが大きいですし、何より皆さんの応援があればこそなのですが、僭越なことを言わせてもらえるなら、マジックをはじめてから10年間あきらめずに頑張って来た結果なのではないかと思うのです。
今の自分があるのは10年間の「努力の貯金」なのであって、別に今がすごいと言う訳ではない。そして今頑張らないと10年後がダメになってしまう。丁度今の読売ジャイアンツのように。
月曜日は「八時」に出演している、鬼喜王子です。
四ッ谷にあるマジックバー「八時」のハウスマジシャン、飛鳥京さんとは実は旧知の仲である。
お互い「鬼喜王子」、「飛鳥京」と呼ばれるずっと以前からの知り合いである。知り合ったのは7年前くらいでマジックの講習会だったと思うが、その時はもちろん、お互いが「十二時」と「八時」のハウスマジシャンになるとは夢にも思わなかった。
世間は狭い。
「八時」が出来る前は、今の「八時」のスタッフが「十二時」を経営していた。
さて僕がまだフリーランスのマジシャンだった頃、「十二時」に初めて出演することが決まったので、一度どんな店か見に行こうと思って、友人と下見に出かけた。
そこで会ったのが、名前も性格もすっかり変わってしまった飛鳥さん。
衝撃的な再会。
昔はまとも、もとい、おとなしい人だったのですよ。
会わなかった間に何があったのかは、僕には知る由もない…。
金曜日の男、鬼喜王子です。
マジックバー「十二時」は曜日ごとにマジシャンが決まっていて、毎日違うマジックショーが楽しめるお店になっています。
逆に言うと「○曜日に行けば、マジシャン×××に会える」ということなのですが、マジシャンの都合によってはそうならない場合もあります。
先日の金曜日(21日)は、鬼喜王子の日、のはずだったのですが、出張がはいってしまい、23時まで店に行けませんでした。「鬼喜王子のマジックが見たい!」と思ってご来店された方々、大変申し訳なかったです!
ちなみに来週(28日)も静岡まで出張のため、12時まで十二時に来れません。
年末にイベントが増えてくると、こういうことが頻発する可能性がありますので、ご予約の際にご確認頂けると助かります。
ちなみに21日に行って来たのは、新宿区山吹町にあるインド料理屋。漫画家の永井豪先生もお気に入りという店である。
経営コンサルタントの田中勝博先生が主催する、まあ懇親会みたいな席でマジックを見せるという趣向だったのですが、好評のうちに会が終了し、最後にお店のスタッフにマジックを披露することになった。
本格的インド料理の店。英国に8年間滞在して色々なインド料理屋に行ったことのある田中先生が一押しの店である。もちろんスタッフはほとんど全員インド人。
日本語は通じないので英語でマジック。全員ウケました。
何が言いたいのかというと「インド人もびっくり!」。
今日はこれが言いたかった。
心臓の毛は永久脱毛、鬼喜王子です。
初めてステージに立ったのはもう10年も昔になるが、あの頃に比べると人前に立つ、ということがそれほど緊張しなくなった。
島田晴夫という人がいる。
「世界の島田」。
マジックでハトを出す人間なら知らない人はいない、というくらいのハト出しの名手。ランス・バートン(現在ラスベガスNo.1のマジシャン)をはじめ、多くのマジシャンが島田の影響を受けている。
ある日の十二時。ステージ・ショーを5分前に控えて、僕・鬼喜王子はふと客席を覗いてみた。
どこかで見た特徴的な髪型。老けてはいるがどこかで見た顔。
「あっ! 島田晴夫じゃねえか!」
実のところ、演技的には僕は島田氏の影響はほとんど受けてないし、島田氏のテクニックも使っていない。それでもその道の大先達。一本独鈷の職人技でマジックの世界で名を成した人である。
彼の前でハトのマジックをやるというのは、三浦知良の前でカズダンス、長島茂雄の前で「ん〜、そうですね〜」とものまねをするようなものである。
さすがに緊張した。
嬉しいことに、島田氏からはお褒めと激励の言葉を頂いた。また、僕が先日のテンドー・コンベンションで優勝したこともご存知で、傲岸不遜な僕もさすがに恐縮した。
プリティ長島の気持ちがよくわかった。
「世界の島田」と
うぉっさーよーめーん(What's up, You, Man?)! 鬼喜王子です。
思いがけない嬉しい出会いを「邂逅(かいこう)」という。
ちなみに嬉しくない出会いは「遭遇」である。
MORI516(森弘一郎)という男がいる。
職業ダンサー、振付師、またはプロデューサー。ヨーロッパではElectric Bogieの第一人者として知られている。活動拠点のデンマークでは国王一族の天覧を受けたほどの男である。
こいつのとの付き合いはもう5年ほどになる。昔はイベントを一緒にやったり、遊んだりしていたのだが、お互い仕事が忙しくなって、最近は疎遠になっていた。
十二時のお客さんに、夏樹さんという人がいて、この人がたまたま森の知り合い。その人が、森が12月に帰国して新宿はシアターアップルにて公演をやるということを教えてくれた。
それならちょっと驚かしがてら見に行くべぇ、と思っていたその数日後。
僕は件(くだん)のプロモーションDVDの撮影のため羽田に向かっていた。
浜松町での乗り換え。どこかで見た奴がいる。
「森とちゃうんか!?」
まさしく邂逅。奴もびっくりしていた。
今は仕事のため帰国していて、これから某HIP HOPグループの振り付けに行くところだったらしい。
ちょっと会わない間にパパになっていた。携帯で娘の写真を見せてくれた。子供が出来るとみんな同じらしい…。
皆さんも機会があれば是非森くんの公演を見に行って下さい。
僕は彼のダンスを見てから、どのダンサーを見てもうまいと思えなくなりました。半端じゃなくヤバいです!
MORI516演出公演「ウーエン イ ウースト」情報
http://www.o-i-o.net/top.html
MORI516サイト
http://mori516.uni.cc/
ひーかるうみ、ひっかるそらっ、ひーかーるーだいーちー、鬼喜王子です。
無事DVDの撮影も終わりました。
沖縄は本当にいいところです!
昨日基地問題についてここで書きましたが、沖縄の外で暮らしている人間は沖縄の事を語れないと思いました。
というのも、撮影は沖縄最大の基地である嘉手納基地の門前町であるコザ(沖縄市)で行ったのですが、沖縄の人は基地ときちんと共存してくらしています。本当にタフです。
またエキストラで来てもらった米軍の人(基地内ではものすごく偉い人らしい)もとても感じのいい人でした。確かに在日米軍というのはわが国における大問題だし、自分の国に他国の軍隊が駐留しているというのは、異常な事態です。
だけど沖縄というのは、ある意味日本ではない。沖縄には沖縄の事情がある。それを無視して議論をするのはまったく無駄である事がわかりました。
わかったことは、沖縄の人はどこまでもタフで明るく優しいということ。
そしてマジックは、人種を問わず世界共通の人を楽しませるものだということ。
来てもらった米軍の将校(コーディネーターのサーファー仲間らしいですが)もとても喜んでくれて、コーディネーターの方に「次のときはお前に波を譲るよ」と言ってくれたそうです。
また路上で撮影していたときに、まだ幼さの残る米兵が「ヘイ、お前はマジシャンかい? David Blaine(アメリカの超有名なストリートマジシャン)と同じか?」と声をかけられて、マジックを見せるとすごく喜んでもらえました。
僕は東大を辞めて(全く後悔はしていないのですが)、マジックの道に入りましたが、自分が選んだ道は間違ってなかったと、改めて再確認できました。素晴らしい出来事を経験し、素敵な人々と出会い、そして出会った人を幸せにできるのですから。
撮影が終わった後の打上げの飲みも良かったのです。僕は沖縄のことは語れませんが、沖縄は、いや琉球は一度は来たほうがいいと言うことだけは言えます。
あらゆる意味で自分が再発見できるところです。
撮影現場
めんそーれ! やまとんちゅ鬼喜王子です。
今僕は沖縄にいます。
まぶしい太陽。青い空と青い海。気温は30℃近く。
食べ物はうまい。酒もうまい。人々はとても暖かく旅人を歓迎してくれる。
ここには今の日本がなくしてしまった、大切な何かが残っています。
でも沖縄は決して楽園ではありません。基地というものがある限り。
本土ではとても考えられないことですが、ほとんど毎日新聞の1面は在日米軍が起こした事故・事件が載っています。
悲しいことにここでは、米兵の横行がまかりとおっています。それが日常です。
考えてみれば、沖縄の歴史というのは、琉球王国の昔から支配と搾取の歴史でした。昔は薩摩藩、日本政府。そして今は在日米軍と、それを何もせず見過ごしている日本政府。
それでも人々は力強く生きています。眩しいくらいに明るく、暖かく生きています。
中川陽介監督がなぜ沖縄を撮り続けるのかわかったような気がしました。
演技の3センチのズレが、スクリーンでは3メートルになる(松田優作談)鬼喜王子です。
先日ここでお話しした、大島ミチルさんプロデュースのパーカッションユニットのプロモーションビデオの撮影に参加してきました。
僕は途中からの参加だったのですが、最長の人は16時間ぶっ通しの撮影というスケジュール。スタッフと出演者の皆様、お疲れさまでした!
まあ、今回は東京パートが終わっただけで、まだ沖縄でのロケがまっているんですけどね。
それにしても、みんなで何かを創り上げて行くっていうのはいいですね。
マジシャンというのは基本的に一人でやるもんですから、何かをやり遂げた時、達成感を分かち合える人間がいない。監督・プロデューサーから下のスタッフに至るまで、自分が何のために何をやっているのかを理解している。そして映像を作り上げるのが好きでたまらない雰囲気が伝わって来て、高校の時の学園祭に戻ったような感じでした。
しかしあの大根演技がどう料理されるのでしょうか?
クリスマスイブの発売日が楽しみです。
現在機上の人となっている鬼喜王子です。
実は飛行機が大好きなんです。
空港に一日中いても飽きない(だろうと思う。やったことないけど)。
座席を取る時は、当然窓側希望。
ハードスケジュールの中では、移動時間というのは貴重な睡眠時間となるんだけど、僕が飛行機に乗る場合は、もったいなくて眠れません。雲海はどれだけ見てても飽きることがありませんな。
「空を飛ぶ」ことは人間の根源的な願望ですが、どうやら僕はその願望が人より強いらしい。
ハト出しというマジックが人々に受け入れられるのは、やはり根源的な願望である「生命を創り出す」ということの他に、この空飛ぶ夢を(間接的かもしれないけれど)表現しているからかもしれないですね。
現在地上約27000フィート。僕の足元にいるハトも元気です。
このまま山口までおとなしくしてくれますように。
航空会社関係の方は見逃して下さい。
こんにちは、日本の王子から世界の王子へ、鬼喜王子です。
サッカーJ2・横浜FCのカズこと三浦知良選手が、オーストラリア・シドニーFCへの移籍が決定したらしいですな。バスケットの田臥勇太選手もNBA復帰へのチャンスが再来したそうで何よりです。
トップアスリートの姿に僕たちが心揺さぶられるのは、自分がどんなポジションにいようと常に上を目指し続ける姿勢、いつも全力を出してプレーする姿にあると思う。そして自分がやっていることにものすごい愛情を持っているのを感じる。
Armando Luceroというマジシャンが今来日している。クロースアップマジックの分野では世界でもおそらく5本の指に入るトップクラスのマジシャンである。
1年前、彼にあった時は無名だった。今回会った時は、世界のマジック界の寵児。でも彼の人に対するやさしさや、マジックに対する愛情、そして常に新しいマジックのアイディアを生み出そうとする向上心は、全く変わりなかった。
彼のマジックを見ると、感動すると同時に自分の至らなさを痛感してしまう。
故・松田優作は走る姿が美しい人だったらしい。その生涯も全力で走り抜けて行った。
かく、ありたい。
先日あんなこと言っておきながら、コンビニで安めぐみのグラビアを立ち読みしてしまった鬼喜王子です。
一般的に、いいものを作ろうと思えば時間がかかってしまう。小説にしても映画にしても音楽にしても、いいものは、あれこれと推敲を重ねたり四苦八苦して出来上がるものだからだ。つまり名作を作る者は、必然的に寡作なのである。
ということをブログの更新が少ない理由にしてきたのだが、考えてみればそれは面白い文章を書ける者だけが使える言い訳で、しかも世の中には三島由起夫や司馬遼太郎のように、多作にして面白いものを残している人も少なくはないのである。
そんな「多作で佳作」な人である作曲家・大島ミチルさんと仕事をご一緒させて頂くことになった。彼女がプロデュースする二人組パーカッションユニットのプロモーション・ビデオに出演させて頂くことになったのだ。
十二時のお客様でもあるプロデューサーのN氏に、打ち合わせを兼ねて、大島さん、パーカッショニストのお二人、ビデオを作って頂く映画監督の中川陽介さんらを十二時に集めて頂いた。実際に僕のショーを見て頂いてイメージをつかんで頂こうという訳だ。
マジックというのはクリエーターという人種にとって結構な刺激になるらしい。ショーの後、大島さんも中川監督も猛烈な勢いで考え込みはじめてしまった。いいものを作るというのはこういうことなのだな、と思わず感じ入ってしまった。
特に中川監督は、どんな刺激をうけたのか、「こんなマジシャンいるのかよ!」とツッコミをいれてしまいたくなるような、斬新なマジシャン像を作ってしまった。どういう風になるのかは、12月に発売されるDVDをご覧頂きたい。
撮影は今月。都内某所及び沖縄でロケ。そのレポートもお楽しみに!
本当は男性ファンの方が多い鬼喜王子です。
もう十月に入ってしまいましたね。時間が過ぎるのはあっというまですね。
さて去る9月29日に放送された「スーパーテレビ」ですが、僕もやっと見ることが出来ました。
ご覧になって下さった皆様、応援メールを送って頂いた皆様、どうもありがとうございました!
お陰さまで仕事先はおろか、街中でも「ナントカ王子っていうマジシャンだ!」という声をかけられることも起きてしまいました。
そろそろコンビニでグラビア雑誌や実話系週刊誌を立ち読みするのは止めにしときます。
この番組を作っているのはVIVIAという制作会社なんですが、カメラ写りの悪い僕が格好よく映っているのは、ここのスタッフさんのお陰です。
撮影中もこちらへの気遣いは並々ならぬものでしたし、マジックに対しても愛情を持って接していらっしゃいました。なにより僕たちが伝えたいことをちゃんと形にしてくれたことは、何よりありがたかったです。
でも実年齢を言うことはなかったと思います(笑)。
テレビで僕を知った方、興味をもたれてこのページを検索で見つけた方、どうぞ遠慮なくお店の方に遊びに来てください。メディアを通してとはいえ、せっかく知り合いになれる縁です。一度しかない人生、思いっきり楽しませてご覧に入れます。