最近になって「デス・ノート」にはまった、鬼喜王子です。
僕が20代前半から半ばにかけてずっと考えていたのは、「魅力ある人間とはなにか」ということだった。それを考えながら本を読み漁り、映画を見、人に会っていた。
なにしろその頃の僕といえば、人付き合いは超苦手、女にはもてない、等のコンプレックスを抱え込んでおり、魅力とは程遠い人間だったのだ。
余談ではあるが、司馬遼太郎が「人間の魅力とは何か」を40歳前後のときに考えながら書いたのが『竜馬がゆく』らしい。
結論から言うと、魅力のある人間というのは、ある意味「不完全な人間」「完璧からちょっと崩れた人間」なのである。
パーフェクトな人間というのは尊敬はされるかもしれないが、決して好かれることはないでしょう。古今東西の小説を探して見ても、聖人君子の一生を取り扱ったものは一つとしてなく、主人公が駄目人間だったり、悪人だったり、癖のある人物だったりするわけです。
映画になった漫画「デス・ノート」だって、主人公が人間のなりをした死神というべき存在だからこそ面白いわけであって、ずっと優等生キャラだったらあんなに人気は出なかったと思いますよ。
先に「ひとつもない」といいましたが、唯一の例外が新約聖書です。それゆえにつまらなく、日曜学校で居眠りをする人が後を絶たないわけですが。しかしながら『ダヴィンチ・コード』で世に広まってしまったように、今の聖書は「人間キリスト」の部分を切り捨てたものですから、改ざん前のものはそこそこ面白かったようですよ。
完璧な正しさというのはいいことだけれども、堅苦しくてちょっと敬遠しがちです。逆に「悪」というものに対してはイケナイこととはわかりつつも、魅力を感じてしまうものなのであります。やりすぎてしまうと、ドン引きされるという危険はありますが、劇薬は少量であれば絶大な効果を催すときがあるのです。
コレに目をつけたのが、もうお辞めになりましたが、雑誌LEONの名物編集長・岸田一郎氏でありまして、「ちょいワルオヤジ」なるカテゴリーを作ってしまいました。
今では確固たる地位を気づいているそうで、六本木ヒルズでLEONに載っている服をそのまま買っていく「ちょいワル」芸能人が後をたたないそうです。
というわけで、来月か再来月のLEONを是非ともご覧いただきたいと思います。