身長167cmの鬼喜王子です。
こんなアタシも中学生のときはバレーボールをやっていました。
身長が低いことがコンプレックスで(今でもそうですが)、背を少しでも伸ばそうと思ってはじめたのがきっかけですが、すっかり体育会系に水があったのか、中学の3年間はどっぷり部活漬けでした(ちなみに身長は1年間に20cmという驚異的なスピードで伸びました)。
炎天下の土のグラウンドや、蒸し風呂のような体育館での過酷な練習、運動が終わるまで水を飲んではいけないという、今のスポーツトレーナーが目を回しそうなことをやっていた最後の世代でした。
その後約20年間の間に、様々な逆境や理不尽を経験するわけですが、あの頃の苦しさに比べれば、まるでたいしたことはない、と思えるほどのものでした。
もちろん、厳しいだけでは人はついていきません。
この頃の僕たちを厳しくも裏ではあたたかく指導していたのは、深川先生という方でした。この人によって「努力はむくわれる」ということを体に叩き込まれました。
いうなれば、思春期という一番多感な時期の、後半に影響をうけたのが以前ブログに登場した竹岡先生で、前半に薫陶をうけたのが深川先生でした。
さて、先日十二時にきたお客様の中に、京都の方がいらっしゃって、話をよく効いてみると、僕の出身地の亀岡市の先生であるという。
大東京で、人口8万人の地方都市の出身者が偶然会うなと、滅多に無いことである。しばらく共通の知人の話題で盛り上がった後、僕は深川先生の消息を聞いてみた。
するとその先生は、大変驚いた様子で、深川先生は10年前に亡くなったことをつたえてくれた。もともと難病をもっていたらしい。
聞けばその先生も深川先生に大変お世話になった人らしく、僕を見て、深川先生の教え子がこんなに立派になって、と涙を浮かべて喜んでくれた。
僕はといえば、「親孝行したいときに親はもういない」というが、そのような心境だった。
ただ死んでも人の思いは残ると信じているし、その思いが今回の出会いを導いてくれたのだろうと思う。そして今でも深川先生はどこかから見ていると思うのだ。
だからこれからも僕は頑張ります。
なに、あの頃のシゴキに比べれば、屁でもないですよ。
鬼喜王子です。
児童文学者の灰谷健次郎さんが、お亡くなりになりました。
私は『兎の目』と『太陽の子』しか読んでいないのですが、本当に優しい視線を持った数少ない人だったと思います。
親子の間で殺人が行われるようなこの時代に、一番必要とされていた人なのではないでしょうか?
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
手を洗うのも顔を洗うのも「薬用ミューズ」な、鬼喜王子です。
マジシャンにとって、手(掌)のケアというのは最重要課題の一つであります。
ある乾燥肌のマジシャンは、ローションやハンドクリームを自分用に調合していますし、掌に汗をかきやすいマジシャンの中には、掌に汗止めスプレー(腋の下なんかに使うやつ)をする人もいます。
アメリカのマジシャン、David Rossは世界一といっても過言ではないほどのコイン・マジックの名手でありますが、彼もまた掌に汗をかきやすい人らしく、練習のときは水で手を濡らして、どんな状況にも対応できるようにしているらしいです。
特に高度な技を使うマジシャンほど、手をいい状態にキープしなければいけません。
マジシャンにとって永久的な課題といってもいいでしょう。
さて、先日ガラスの爪やすりを頂いたAYANOさんから謎の液体を頂いた。
本来は顔に使うものらしいのですが、コレを掌につけてこすると、角質がボロボロとれる。『ジョジョの奇妙な冒険』第4部に出てきたイタリアンレストランで食事をしたときのように(わかりにくいたとえだ)、ボロボロと取れる。
角質をとった後の掌は、しっとりすべすべで、トランプが吸い付くようです。
こいつはヤバいですよ。
こんなにくすんだ手が
こんなにピカピカに!
※使用感は個人差があります
アルマンドが今日離日するというのに、なにをやってるんだろうか、俺。
「艦長、マスコミ各社が改造コインについてのコメントを求めてきています。なんと返信しましょうか?」
「バカメと言ってやれ」
「は?」
「バカメだ!」
鬼喜王子でした。
めんそーれ、鬼喜王子です。
木曜日に沖縄に出張してきました。
このブログにも度々書いていますが、せっかくその土地に行っても仕事だけ、というパターンが続いたので、今回はクライアント側に無理を言ってもらって、朝イチのチケットをとってもらい、少しだけ観光の時間をつくりました。
前回沖縄にいったときは、いきなりディープなところにつれていかれて、普通の観光名所とかには行けずじまいだったので、今回はどこかには行ってやろうと思っていたのですが、たまたま今回の仕事が恩納というところにあるリゾート地で、美ら海水族館に近いということもあったので、国内では2箇所にしかいない、ジンベエザメを見に行ってきました。
こいつがジンベエちゃんだ! でけぇ!
とある雑誌のアンケートで風俗嬢が、男はみんな「大きい」と言われると喜ぶと書いてあったが、そんなものはどうでもいいくらい(もともとどうでもいいのだが)、ジンベエザメはでかい。
婦女子は小さいものを見ると無条件に「ちょっと見て、コレチョーかわいい! ねぇ、かわいくない? すっごいかわいいんだけど」と言うが、今回は対極にあるとはいえ、ちょっとだけその気持ちがわかったような気がした。男の自分には一生理解できない気持ちだと思っていたが。
これだけでかいと、もぉどうでもよくなる。
悠々と泳いでいるジンベエのまえで、仕事仕事とあくせくしている自分が小さく見える。仕事だけではない。本当に俺は、つまんない小さいことにこだわりまくっているな、と自分の卑小さを身に沁みて感じてしまった。
車の免許より、ダイバーの免許を先に取ろうかと、一瞬思ってしまった自分がいました。
マジック界のファッション・ブリーダー、鬼喜王子です。
さて、次の絵を見てもらいたい。
「ルビンの壺」と呼ばれている非常に有名な絵で、名前は知らなくても、白いところに注目すると壺に見え、黒い部分に注目すると向かい合った二つの顔に見える、というのは、皆さんもご存知だと思う。
壺に注目すると顔が背景に、顔に注目すると壺が背景になるわけですが、潜在意識にアピールするのは背景のほうなのです。そして潜在意識というのは意識の10倍くらいの影響力があります。
つまり見られているものよりも、その背景にあるものの方が、印象に大きく影響するわけです。
とまあ、ここまでは先日ブログに登場した石井裕之先生のウケウリ。
さてマジシャンにとってこの背景はなにかというと、ズバリ今回のタイトルである「身だしなみ」に他なりません。マジックそのものも大切ですが、むしろ身だしなみのほうが相手への印象を左右しかねない。
この身だしなみの中でも一番注意をしなければいけないのはどこでしょうか?
とある女性誌のアンケートで、なんと7割の女性が真っ先に注目する箇所がありました。
顔? 髪型? 服装?
いやいや、正解は指先なのです。
これには科学的な裏づけもありまして、指と生殖器を作っている遺伝子は共通なものだそうで、必ずしも「指がキレイな人は、アレもナニ」というわけでもないのでしょうが、やはり本能的に目が行ってしまうものなのでしょうな。
というわけで、今回お奨めするアイテムはコチラ。
ガラス製の爪やすりでございます。
目が細かく、目詰まりすることがありません。さらに水洗いできるので、清潔かつ半永久的に使えるというスグレモノ。
爪切りのように、爪が割れることもありません。
野球のピッチャーと手を見られる商売の殿方は、是非これで爪と男を磨いていただきたいと思います。
お買い求めは東急ハンズ(横浜店)まで。
最低、爪の間に汚れをためて黒くするような事は止めてくださいね。
印象が全然違ってきますよ。
鬼喜王子です。
先日の日曜、上野は国立科学博物館でやっている「化け物展」に行ってきたので、そのレポートでも書こうかと思ったのですが、諸事情により写真がまだ手元にないので、別のことを書こうかと思います。
その日の夜、たまたまテレビをつけたらNHKで手塚治虫のドキュメンタリーをやっていた。
手塚治虫。数々のヒット作のみならず、後世に残る名作を生み出した「マンガの神様」。無くなってからもう17年も経つのだ。
僕ももちろん、手塚治虫のマンガをたくさん読んで育ってきた。「智謀沸くが如し」ではないが、「神様」なんだから、それこそ映画の「アマデウス」のモーツァルトのようにすらすらと物語がでてくるものだと思っていた。
ハードワークなのは聞いていたが、それは頭に体がついていかない類のものだと思っていた。
とんでもない話である。
手塚治虫はずっと苦しみながらマンガを生み出していたのだ。
悪書追放運動でいわれのないつるし上げを食らったり、劇画ブームの中、「古い」と読者に切り捨てられ、試行錯誤をして作風を変えて残った読者にも切り捨てられた。
それでも「いのちの大切さ」を訴え続けてマンガを描き続けた。文字通り命を削って「いのち」を表現し続けた。
そうして『ブラックジャック』『火の鳥』あと注目されることは少ないんだけど僕が手塚の最高傑作だと思っている『陽だまりの樹』といった不朽の名作が生まれていったのだ。
天才といえど、やはり大きな苦しみなしには、素晴らしいものを生み出せないということか。
なによりもいのちの大切さ、いのちとは何なのかというのを、深く考えさせられた。
本来慈しみあう間柄であるはずの親子の間ですら、頻繁に殺人が行われる今日、いのちの本当の意味を知っている人がどれだけいるのだろうか?
手塚によると、いのちというのは、ほんの何百分の一が人生として表出しているだけであって、永遠に連綿と続いていくものらしい。
僕は仏教徒の家に生まれ、大学では宗教学を専攻していたくせに、転生とか前世というものを信じていない、というか嫌いだからうけつけない(というのは、やたら前世前世という人に限って、今を生きていない、つまり逃げる口実にしているからだ)。でも手塚の言葉を聞くと、いのちとはそういうものかもしれないとも思う。それは転生というかたちでも、あるいは親から子供へと受け継がれていくというかたちでも、あらゆる意味でだ。
心というのは、場所を越え、時を越え、時には生死を越えてしまうものなのだから。
週に1本DVDを見るノルマを課したら、3本位見てしまった鬼喜王子です。
で、見たのが「ロール・バウンス」というローラースケート版8マイル(身も蓋もない)。
ファシスト国家となった英国に立ち向かう謎の主人公を描いた「Vフォー・ヴェンデッタ」。
この2本を見て、もう亡くなって大分たつ隆慶一郎氏や三島由紀夫氏のエッセイを思い出した。
自由というのは楽しげでそして素晴らしい。反面無秩序であり、ときに愚かである。
統制・支配というのは、されるほうはたまったものではないが、その秩序は美しいことこの上ない。
民主主義というのはたくさんの人間の知恵を集められる点ですぐれているが、衆愚政治に陥りやすいし、独裁は頂点に天才が立てば最も理想的な政治形態であるが、愚者が頂点に立つとき(あるいは凡人ですら)、目も当てられない。
統制の美対自由の楽しさの戦い。信長対本願寺門徒衆。銀河帝国対共和国軍。James Brown対Sly & The Family Stone。
僕らは民主主義のなかで育ったから、自由は素晴らしいと教え込まれている。それは確かに真実なんだけど、善悪を考えないとき、ナチスというのは人類が生み出した中で3本の指に入るくらい美しい集団だし、僕は北朝鮮なんて国家はさっさと滅びた方がいいと思っているけれども、かの国の軍事パレードは整然としていて素晴らしい威容を誇っている。
信長はそんな美しさを愛して、そして無秩序で醜く愚かな門徒宗を嫌ったから伊勢長島や比叡山でジェノサイドを行ったといわれているし、そんな美しさを追求した結果、三島は今は無き自衛隊市谷駐屯地で割腹をした。
いいか悪いかと聞かれれば、絶対に悪。でも美しいかそうでないかと言われれば、これも絶対に美しい。
隆慶一郎(そしてその先輩の小林秀雄)の師・辰野隆は「恋愛というのは美男美女だけに許された特権である」という暴言を吐いたらしいが、この言葉のなんと真実でうつくしいことか!
スターウォーズでも帝国軍のほうがかっこいいし、「Vフォー・ヴェンデッタ」のファシストのマークもイカしている。ナチの軍服はいちばんかっこいい軍服だし、糊がきいた裃は三島が大絶賛している。前出の「ロール・バウンス」でも、ライバルのチームの統制されたパフォーマンスのほうが数段クールなのである(主人公チームは楽しげで素晴らしいのですが)。
自由と美しさ。こいつは両立できないのかもしれない。
何かを手に入れるためには、何かを犠牲にしなければならない。
ちなみにあと一本は「ALWAYS 三丁目の夕日」。これも超よかった。