映画の方はまだ見ていない、鬼喜王子です。
最近無理のあるライディングが祟って、バイクのブレーキが壊れてしまいました。しかも輸入車だから、部品の取り寄せからやらなきゃいけなくて、修理に大分時間がかかりそうです。
で、最近は電車で通勤するようになったのですが、夜の仕事が長引くと、時に朝の通勤ラッシュのときに帰る時間がかぶるときがあるわけです。
久し振りにラッシュアワーのただ中に巻き込まれて、びっくりしてしまいました。
別に人の多さに圧倒されたわけではありません。
なんというか、圧倒的な負の感情の波が押し寄せてきて、戸惑いを隠せなかったのです。
死人のような無気力な顔をして通り過ぎる人、周囲にイライラを振りまいている人、周囲に攻撃的で感情が乾ききって、まるで戦闘ロボットが通り過ぎているような感じです。
思いやりとか希望とか、そんな言葉とは無縁の世界。地獄だってもっと感情的だろう。
いつからこうなったのだろう? 前からだったっけ?
感受性や霊感の強い人なら、負のオーラに圧倒されて、泣き出してしまいそうな、そんな風景でした。
だがそれがいい、鬼喜王子です。
人間というのは、現状に満足した瞬間から堕落し始めるものでありまして、特に男としては、一瞬一瞬、常に前にすすむべき動物であります。
なぜ冒険心あふれた男子がオートバイに乗るかというと、やはり前にすすまなければ倒れてしまうという男の生き様を具現化したものであるからだと思うのです。
今回の主旨に戻ると、どうも自分は最近堕落している。省みるに、現状に満足して前に進もうとしていないところがある。
別に結果として前に一歩も踏み出せなくてもいいのです。前に進もうとする気概こそが、淀んだ水を清流に戻すことが出来る。そしていずれは前にすすむことができるのですから。
という訳で、一瞬に生を賭けた男たちの生き様、魂を再注入すべく、最近隆慶一郎氏の小説を再び読み始めました。
隆慶一郎氏というと僕らの世代(30歳代)だと、週刊少年ジャンプで連載されていた『花の慶次~雲のかなたに~』でご存知の方も多いと思うが、カッコいい男の生き様ムンムンの文章を書かれる方で、没後18年経つが、その魅力は色褪せないどころか、その影響はますます(メディア)を中心に広がってきている。
まあ詳しくはここでくどくどと書くよりは、実際読んでいただくのがいいのだが、己を貫くために命をも惜しまない男たちの姿は、男子なら魂を揺さぶられないはずはなく、影響を受けやすい私なんざ、「よし、おいらも傾奇者だ!」と髪を銀に染めて、出来るはずの高給の仕事を棒に振って、貧乏していた時代もありました。別に意味はなかったんですけどね。何も出来ない分、心意気だけを示したかっただけなのかもしれません。
あの頃の心意気に比べると、今の俺、腐り水になっていやしないか?
今再び傾く時期に来ているのかもしれません。
人生に大切なものは数あれど、男なら心の中に呑んでいるドスを、決して錆びさせてはいけないのです。
ボンジュール、鬼喜王子です。
その日は何か出会いの多い日だった。
2年前のマジックのコンベンションで会ったきりの、四国のマジシャンに再会したり、1年半振りくらいに会った、お客さんとか。そういう星のめぐり合わせだったのかもしれない。
十二時には外国人のお客様もよく来る。だからそのおっさんが入ってきたときも、特に珍しくも感じなかった。ただ大変流暢な訛りの感じられない英語を話していたのに、ふと漏らしたフランス語からフランス人というのがわかって、それがちょっとひっかかったのだった。
このちょっとしたひっかかりというのが、人生では重要な意味をもっていて、潜在意識に対するアラートみたいだったりするのだが、まさかそのときもそうだとは思わなかった。
ショーをいつものように終えて、客席をまわっていると、件のフランス人のおっさんがとてもうれしそうに握手を求めてきて、一緒に写真を撮ってくれ、と言われた。
嫌味な言い方だが、これもよくあることなので(笑)、そんなにびっくりはしなかった。
そのとき彼が言うには
「ボクはパリでキャバレーのスタッフをやっていて、いろんなマジシャンを見てきたけど、キミは表情とか仕草、プレゼンテーション、本当に素晴らしいネ!」
とお褒めの言葉を頂いた。そして
「キミのことが気に入ったから、パリに来るようなことがあったら是非連絡してくれ」
と連絡先を書いたメモをもらったのだった。
どうせ場末のキャバレーのおっさんだろう、と思ってメモを見てみるとそこには「CRAZY HORSE」の文字があった。
ちなみにフランスのキャバレーというのは、日本のそれと違って、一流のショーが見られる高級クラブみたいなところで、ハイソサエティの社交場なのだが、CRAZY HORSEというのは、その中でも最高峰。
ショービジネスに関わっている人間なら、その名を知らない人はいないくらいで、ヨーロッパのエンターテイメントの頂点といっても過言ではない。マジシャンでも超一流の人しか出演していないところで、日本人ではマーカ・テンドー氏や島田晴夫氏らごく少数しか出演していない。
そこの人間から「アンタはスゴイ!」と言われたのだ。
今からフランス語を勉強しはじめます(笑)。
願いというのはしつこいくらい追い続けていたら、必ず実現するものと信じているし、現に実現してきたつもりだ。
待っていやがれ、マドモワゼルたち。
あんちゃん、わかってるのかよ!(福山調)、な鬼喜王子です。
あるお客さんから聞いたのですが、最近の女子大生の中にはサークルを作って、組織的に「ウリ」をやっているのがいるらしいです。
一晩5万円。
当の女子大生もあっけらかんとしたもので、「お金がすべて、お金がもらえればOK!」みたいな感じで、恥じらいもへったくれもないらしいです。
そのお客さんはごく当たり前の感性を持った人なのですが、付き合い上、一緒に飲んでいたらしく、「いいパパを紹介してくれ」とか言われて辟易したらしいです。
結論から言うと、お金を至上の価値観として自分の体さえ安く売ってしまう、こんな女の子がでてきたのは、そんな世の中を作ってしまった大人たちのせいで、彼女たちを責めるのは本当はお門違いなのですが、あえて言いたい。
「そこに愛はあるのかい?」(by 江口洋介)
同じ1回のセックスに5万円かけるにしても、女の子をナンパして遊園地とか連れて行って、うまいもん食わせて、キレイな夜景を見に行って、ちょっとしたホテルに行っても、それくらいはかかってしまうわけです。
手間ひまはかかってしまいますよ。でも、それが「愛」じゃないの?
たとえ一晩限りの関係だったとしても、利害関係があったとしても、その瞬間だけは同じ方向を向いていたい。そのときだけは、空いている心の部分が満たされていたいのだ。
キミたちは多分誰かや何かを本当に好きになったことがないのだね。とても可愛そうだ。
いくらカネがあってもあの天に舞い上がるような喜びや、何かに没頭している充実感、恋焦がれる苦しみを感じることは出来ないのだよ。
ときにそれは死ぬほどに、本当に死んでしまう人がいるくらいに苦しいこともある。でもそれが生きているというよろこびなのだ。そこに愛はあるのだよ。
バカな大人たちが作った価値観などぶちこわして、キミの魂の叫びを爆発させればいいのに。今のキミは、心のないロボットのようだ。
札束のベッドで死んでいるフリをするのはもう止めないかい?
ブゥメラン、ブゥメランな、鬼喜王子です。
さてみなさんは、お手持ちのボールペンの中に、芯の真ん中に空気が入り込んで使えなくなったものがないでしょうか(図B参照)
【図A:正常なボールペン】
<■■■■■■□□□
【図B:空気が入り込んだボールペン】
<□□■■■■■■□
実は僕が大切にしているボールペンが1年近くBの状態になっていて、その間止むを得ず、という気持ちで他のボールペンを使っていたのだが、先日、家の中のペンがこの使えないボールペンしかない情況で、書かなければいけない羽目に陥った。
で、インターネットで調べてみると、ものすごく簡単に直す方法がわかったのだ。
(遠心力を使うのだが、解決法は各自調べられたし)
1年近く、このペンを使えなくて悶々としていた気持ちは何だったのだろう、と思った。
と同時に、ちょっと調べればすぐにわかることなのに、なんで調べようとしなかったのだろう、と思った。
日々の生活の中で、「本気」になることがあっても、果たしてどれだけ本気になっているのだろうか? 切羽詰ったときほどに、いつも真剣に生きているだろうか。
本気であるときには、心の底から本気で生きたい。
日々のちいさなことからそんなことを考える、大人なオレ(笑)。