鬼喜王子です。
先日、ハコさんというお客さんが久し振りに来店しました。
この人は腕も人柄もいい日本料理の職人さんで、去年の大晦日には十二時で寿司を握っていただくなど、とても良くしていただいている方なのです。
実はハコさんと僕は、歴史小説好き、特に幕末好き、そして特に新撰組好き、さらに土方歳三の大ファンという共通点があるのです。ちなみにこの人は、天然理心流の剣士でもあるという、筋金入りです。
二人とも高校時代に司馬遼太郎の『燃えよ剣』にハマって、強烈に土方にあこがれて、土方が死んだ35歳を人生の終着点と思い定めたのです。
ハコさんはその年齢をとっくに過ぎてしまいましたが、その気概は忘れずにいらっしゃいます。我が身を振り返ってみるに、最近どうもふやけた生き方をしているような気がする。「士道不覚悟」であります。
あと1年と少し、土方のように最後まで己を貫いて生きて参ります。
ちなみに鬼喜王子の「鬼」は、「鬼の副長」に由来しているのですよ。
ロケット・ボーイ、鬼喜王子です。
先日美容院に行ったときに読んだ、雑誌『Pen』の8月号で宇宙開発の特集をやっていたのがいけなかった。
しばらく引っ込んでいた「宇宙熱」が再発して、Penのバックナンバーはおろか、宇宙を舞台にした映画のDVDを衝動買いしてしまったのだ。
以前レンタルして見て泣いた『アポロ13』、今回スペシャル・エディションを買って、やっぱり見て泣いた。お涙ちょうだいな演出になっているのが気に入らないが、この壮大な人間ドラマの前では些細なことだ。
それにしてもエド・ハリス演じる主席管制官ジーン・クランツのかっこいいことよ。
映画は事故にあったアポロ13号が、悪運に継ぐ悪運で生還率ほぼ0%という状況にありながら、NASAのスタッフの叡智を結集させて、なんとか大気圏突入まで持っていく(ちなみにNASAのスタッフが言うには、アポロ11号の月面着陸のときよりも、このときのほうが給料に見合った仕事をした、と思ったそうだ)。
人事は尽くした。でも宇宙船自体が事故で損傷しているかもしれない。無事に生還できるかはまさに天命のみぞ知る、という状況。
あるスタッフが漏らす。「NASA始まって以来、最大の災厄になるかもしれない」
それに対してクランツは、
「言葉をかえすようだが、最大の栄光の瞬間だよ」
と言ったのだ。
物事を前向きにとらえるとか、絶対に助けてみせるという信念をもつとか、そういうこと以上に崇高なものを感じる。なんというか、人間の一番尊いところ、魂のいちばん奥深い部分が言わせているような気がするのだ。
絶望的な状況であればあるほど、こうした言葉が輝いて見える。
ちなみにこの映画は、事実を基にしているので、結末はわかっているのだが、それでもラストシーンは涙無しには見られない。
どんなに無理に思えても、人間の力は、運命に打ち勝つことが出来るのだ。
鬼喜王子です。
突然ですが、今あなたは自分のことを、ミミズより幸せだと思いますか?
よく考えた人も考えない人も、多分ほぼ全員が「イエス」と答えるだろう。
世の中に成功者と呼ばれる人がいる。ある人は富をつかみ、ある人は名声を得、またある人は多くの人々を導くカリスマとなっている。
非常にあいまいな定義で申し訳ないが、彼ら成功者に共通しているのは、感じる能力が優れているということ、すなわち凡人よりも「気付く」力を持っているのである。その結果、人よりも多くのチャンスに気付き、成功をつかみとっているのだと思う。
言い方を変えると、彼らは人よりもたくさんの幸せを感じ取っているのである。
同時にその感受性ゆえ、人よりも多くの不幸も感じ取っている。
山を登れば登るほどその環境が厳しくなっていくように、人間としての階梯を登っていくほど、気苦労も多くなるしストレスも大きくなっていくだろう。
それでも、僕の知人には「成功者」がたくさんいるが、彼らは押しなべて充実した人生を送っており、苦労とは無縁の幸せなオーラを発散している。きっと想像を絶する苦労もしているに違いないのだが、それを受け入れるだけの包容力があったり、前向きに楽しむことが出来たりしているのだろう。その頼もしさがカリスマとなっている。そしてそれはやはり幸せなことなのだと思う。
ミミズは土中にうごめくだけで、目も見えないし耳も聞こえない。他者から恨まれることもないし、心を悩ませることもない。その点、僕らはミミズよりも不幸だといえるだろう。
それでもやはりミミズより幸せでしょう?
青空を見て心膨らませたり、恋人に会ってドキドキしたり、好きな音楽を聴いて楽しい気分になったりすることは、僕らにしか出来ないとっても素敵なことだと思う。いや、失恋で思いっきり落ち込んだり、失敗を悔やんだり、怪我をして痛い思いをするのも、ものすごく幸せなことではないのでしょうか? 精一杯生きるのを感じることが幸せだとすると、どんなにつらいことがあっても、やはり人間は成長をしなければならないのだと思います。
あなたは安全だけど何もない土の中で一生を暮らしたいですか?
つらい思いをしても地上に出て、青空を見たいと思いませんか?
別に涙がこぼれそうなわけじゃない、鬼喜王子です。
近頃知人に苫米地英人氏の本を薦められた。
誤解を恐れずにものすご~く端的に言えば、この人の本というのは「潜在脳力」を目覚めさせるという内容で(興味がある方は読んでみてください)、どれだけ抽象度の高い思考をできるかが、能力を決めるというものだ。
その中で、どれだけ抽象度の高い考え方が出来ているかどうかを診断する質問の中で「普段空を見上げることがあるか?」というのがあったのである。
(ちなみに抽象度が高い人は、見上げたビルの窓から見下ろす人と目が合ったりするらしい)
それで最近は外を歩くときは上を向いて歩くことにしているのだが、なるほど、上を向いていると色々と気付かされることがある。
まず普段いかに下を向いて生きていることか! これだけ下を向いて生きていると、それだけで後ろ向きな考えしか浮かばないし、本当にもったいない。精神的にも一種の視野狭窄に陥っていると思う。
あとは、空を見上げていると子供に戻ったような気分になる。
狭い路地から白い雲が流れているのを見ていると、まるでビルが動いているように感じたりする。なんて無邪気なことをいつから考えなくなったのだろう。
普段気付かなかった街の表情も見えてきます。
赤坂の繁華街にて。「インターネントカワェ」って(笑)