ご存知の通り、僕は京都出身なのですが、清水寺にも金閣寺にも銀閣寺にも二条城にも行ったことがありません(新撰組フリークなので壬生寺や新撰組屯所跡や本願寺にいったことはありますが)。
別に近いからいつでも行けるからいいや、というわけなのではなく、余りにも日常なので特別に行くほどのものではないと感じたからなのでしょう。
東京に来てからも名所や観光スポットには仕事等の用事がなければ、行くこともありません。六本木ヒルズも2年前くらいに初めて行きました。東京ミッドタウンや、表参道ヒルズ、ディズニーシーには、未だに行っていません。
ちょっと前に銀座にR25カフェができたときも、前を通ることはあっても入ることはありませんでした。できた当時はちょっとした話題になっていたのですが、銀座という街が僕にとってあまりに日常すぎて(そして銀座では新しい店ができるというのは日常茶飯事なので)まったく行く気にはなれなかったのです。
ところが先日、とある場所でR25カフェの店長・居村さんと知り合う機会があって、それならちょっと寄ってみるか、という気になったのです。
僕は社交辞令というのが大嫌いで(必要だというのは認めますが)、「今度行くから」と行って行かないという自分が許せない。「また来ます」と勢いで言ってしまって、その後行けなかったときの罪悪感というか自己嫌悪たるもの半端なモンじゃありません。
で、行ってきました。
ハロウィンということで、パンプキンパイを頂きました。
カフェオレの模様は意図的かどうかはわかりませんが、カボチャっぽくていいと思いませんか?
鬼喜王子です。
今の世の中、魂の叫びなんていっても、そんなものを聞ける機会なんぞ、滅多にありません。
ちょっと頭を使って、ちょっと格好をつけて、ちょっとうまく立ち回れば、なんの問題もない。「魂の叫び」というのは文字通り命を削った行為であります。しかも傍から見るとかっこ悪いこともある。だからなかなかできない。死んではいないけど、生きてもいないという状態です。
で、昨日、東京国際フォーラムにて行われた森下裕道さんの「たった5時間で”接客の天才になる、すっごいセミナー”」に行ってきました。実は森下さんはその道では(どの道だ)僕の先輩にあたる人で、アミューズメント業界では伝説的な接客マスターであります。
「命を賭ける」とはよく言いますが、本当に命を賭けている姿なんてそうそう見れるものではありません。森下さんは本当に接客というものに命を賭けている人で、何かに取り憑かれたかのように熱く語る様は、まさに魂の叫びそのものでした。叫びってちょっと見かっこわるいですけど、ラグビーのNZ代表のウォークライみたいに、本当はこの上なくカッコいいものなんですよ。
あの空間を共有できたことを本当にうれしく思います。
あと命を賭けるっていっても、例えば「大金持ちになりたい!」とかチンケなことには命賭けられないと思うんですよね。俗な言葉で言うと、大義というか「世の中をよくするために、例え身を挺してもこれはやらなきゃいかん」とう背景とか人間の尊厳とかそういうものがあってこそ、はじめて自分と他人の魂を震わせることが出来るのだと思います。
お疲れ様でした。弁当おいしかったです(笑)
鬼喜王子です。
先日、久し振りに休日をひとりで過ごす機会を得られたので、買ってから2ヶ月間放置しておいた「ライト・スタッフ(The Right Stuff)」のDVDを見ました。
なにしろこの映画は3時間以上もある大作で、内容もドキュメンタリータッチで重い。
こんな代物は、時間を見つけてから気合を入れて一気に見てしまうに限ります。
もう20年以上前に作られた映画なので、例えば「アポロ13」なんかと比べるとヴィジュアル的には超しょぼいんですが(マーキュリー計画時代の宇宙船や宇宙服のダサさとも相まって)、ドラマとしては20年経った今もまったく色褪せない、というか歳月経てますます輝きを増している作品だと思います。
right stuffというのは「正しい資質」という意味だそうです。
「マーキュリー7」と呼ばれた宇宙飛行士たち、そして「パイロット」であることにこだわりを持ち、あえて日の光のあたらないテスト・パイロットの道を全うしたチャック・イェーガーはまさしくright stuffの持ち主。
ただこの映画の監督がインタビューで言っているように、どんな職業でright stuffというのはあるはずなのです。己の天分と職分を全うする者。それは結果的に見れば、世間では「成功者」と呼ばれていることが多いのではないでしょうか。
チャック・イェーガー(ちなみにこの人は世界で初めて音速を突破した人であります)の名言に
「今まで自分が見てきた中で自分の仕事を楽しんでやってるやつはみんな仕事ができるやつだったね」
というのがありますが、まさしくこれこそが最大の「正しい資質」なのではないでしょうか?
鬼喜王子です。
月並みな言い方になるが、人生出会いがあれば別れもある。
それは愛する人との別れもあるだろうし、大切にしていたものとの別れもあるだろう。あるいは長年の習慣との決別かもしれない。
またなりゆきではなく、自らの意思で決別をしなければならないときもある。
いずれにしてもその決別は必然なのである。人が上を目指して歩いていく限り。
そんな別れのとき、その人が大切な人であればあるほど、僕は心の中でそっとつぶやく言葉があるのだ。
「頂点で会おう」
お互い成長するために別れたんだもの。今は二人ともドサンピンでも、何年か後にはそれぞれの世界でビッグマネーをつかみ、功を成し、大勢の人を引き連れ、最高のナオンと一緒にピンドンを飲んでいる身分、とまではいかなくても、大きな人間になっているはずさ。きっとお互い名前が自然に聞こえてくるようになっているだろう。
そのときに昔の話をしながら旨い酒を飲むことを楽しみに、今はさらばだ、友よ。
それはそう遠くはない未来の話なのだから。